建築好きのあっきぃーにとって
沖縄の建築はおもしろい建築が多いです。
数ある沖縄の建物の中であっきぃーの印象が一番深い建物が今、存続の危機にあります。
それが
沖縄少年会館(現久茂地公民館)です。
このまま無くなるにはもったいない文化的建築物、
せっかくなので、イベントを行ってみることにしました。
「みんなで少年会館を語ろう」
あなたの少年会館の思い出やご意見を聞かせてください。
那覇市久茂地公民館(旧沖縄少年会館)6Fホール
7月3日(土)午後2:00~4:00
お子様連れでもお気軽におこしください
いま、那覇市久茂地にある
久茂地公民館(旧沖縄少年会館)が
存廃の瀬戸際にあります。
1966(昭和41)年に竣工した沖縄少年会館は、
復帰前の子どもたちの夢をかたちにしたような建物でした。
天体観測室・科学展示室・図書館・宿泊室・浴室・ホールなど、
最先端の施設や設備を備え、文化的イベントはもとより、
離島の子どもたちの修学旅行の宿泊施設としても活用されました。
1978(昭和53)年に
沖縄少年会館としての役目を終えた後も、
久茂地公民館として図書館や児童館も併設しながら、
地域の住民や子どもたちに親しまれている建物です。
公民館では、約100団体が活用し、
地域には3代わたり利用している家族もいます。
私たちは、
この建物の文化的な意義や構造物としての価値について、
深く学びたいと考えています。
この建物がどのようにして生まれ、どう活用されてきたのか。
あなたがもし、知っているのであれば、
この機会にぜひお聞かせください。
私たちは、豊かな智恵の共有や十分な話し合いがいま必要だと考えています。
あなたのご参加をお待ちしています。
建築アトリエTreppen(トレッペン)の
照屋寛公(てるやかんこう)氏が沖縄少年会館についてお話して頂けることになりました。
以下、照屋寛公氏のブログの記事で沖縄少年会館について書かれた記事を転載します。
建築家・遊悠人のおきなわフォト日記より転載です。>>>
昨日の
タイムス住宅新聞に・・
遊悠人の連載・エッセイが掲載されている!
今回は、遊悠人の中学生の頃の思い出、建築を志すきっかけにもなった建築のことを書いてみた。
ご一読ください~!
大志を抱かせた建築
写真・文/照屋寛公
年の瀬の新聞紙面で久茂地公民館存廃の記事が目に飛び込んだ。この建築は筆者の中学生の頃の思い出深い建築、また今の自分の職業への道に影響を与えてくれた建築でもある。筆者の育った石垣島の中学校では、当時の修学旅行先が沖縄本島であった。北部ヤンバルから南部の戦跡や議会議場の公共施設、新聞社本社を大型バスで移動しながら見学したことを覚えている。
その宿泊場所が現在の久茂地公民館、当時は沖縄少年会館と呼ばれていた。一階ロビーは天井の高い吹き抜けになっていて、たしか赤いベルベットのソファが並べられ、大型のテレビが設置されていた。中学生の少年少女はその大型画面を食い入るように見ていた。上階の何層かは宿泊フロアになっていて、その昇降は当時珍しいエレベータであった。子供達は、われ先に幾度も乗って遊んだ。
興味深かったのが階段である、先ほどのエレベータの周りを取り囲むようにらせん状になっていて、回転しながらステップを踏みしめて昇降する。不思議な階段は子供にはとても刺激的で感激したことを記憶している。ドーム型のプラネタリウムが最上階にあった、背の傾斜する椅子に腰かけ、映し出される美しい満天の星空や解説に耳を傾けていると、宇宙や天文への好奇心がひろがった。
その建築の中でも特に印象深いのが、エントランス右のコンクリート製のオブジェである。まるで天を突き刺すように強く高くそびえるその形に感激したことを記憶している。
それから二十数年して、このオブジェの意味を知ることになった。東京で学生・就職時代を過ごし沖縄に戻ってきて間もまく、この建築の設計を担当した氏に出会った。オブジェは札幌農学校初代教頭クラーク博士の言葉、Boys, be ambitious(少年よ、大志を抱け)をコンセプトに設計したということを耳にして一層感激した。当時の設計者の想いや教育関係者の沖縄の子供達への教育の情熱を聞かせて頂いた。
今、この建築が老朽化や維持管費用を理由に存亡に危機にあるようだ。先人の想いの詰まった文化は一度失って金で買い戻せるものではない。沖縄からまたひとつ文化施設が消えないためにもこの建築の存続を願ってやまない。
(建築アトリエ・トレッペン代表・建築家)
http://treppen.ti-da.net/e2938250.html
>>>転載終了
あと、この時代で気になる建物は「琉球銀行本店」かな。